長岡式酵素玄米が
直伝にこだわる訳
それは、「感じる」という事が生きていく上で、とても大切なことだから。経済中心の便利過ぎる世の中にいると、速さや均等さ(同じが良いという考えも含む)、安価を求められる。そもそも長岡式酵素玄米を取りいれた生活というのは、酵素玄米と味噌汁、少しの漬物(発酵食品中心の素食)で充分なんだという考えなのだから、命の中心になる「酵素玄米ごはん」を、簡単便利に電子レンジでチンとか、電磁波まみれのIH炊飯器でピッと炊くとか、工場で機械が作る大量生産された商品とはわけが違う。
直伝に沿って米を一粒ずつ仕分け、雑念を払い、米を研ぐ。そこには、手間暇も、愛情も、想いも、どーんと詰まって炊き上がって当然だし、熟成に至っては、逆もしかり。炊く人のエネルギーがもちろん左右し、艶々で、もちもちにうまく熟成が進めば、「そうかそうか…」と微笑み、なんだか様子がイマイチだという時は「やっぱり…」と振り返り反省したりするもので、そこが面白さであり、魅力でもあり、難しいところでもある。だからやめられないのであり、取り憑かれた私はこの素晴らしさを伝えずにはいられない。
必要なものは、
すでに私たちの周りにあって
充分に満たされている
酵素玄米を生活に取り入れていくと、自然に、おかずもシンプルになる。味覚がクリアになり、身体の調子も軽くなり、思考も変化する。選択の時間も短くなり、迷わない。人間関係もスッキリしてくるから不思議である。本当に必要なものがわかるようになり、ストレスが無くなり、生きていくのが楽しくなる。
これは、ヨガの修行中にも感じる多幸感と同じである。(現にヨガの師匠も、新井先生と同じ事をよく言われる)少しくらい不便でも、たとえ時間がかかっても、かける価値が十二分にあるのが、長岡式酵素玄米なのだ。次第に、これが命の源となる!と確信できた頃には、ライフスタイル全般が大きく変わっていることに気づくでしょう。
自分を大切にし、自然を愛し、祖先がしてきた昔ながらの玄米中心の生き方は、地球にも優しく、サステナブルな生き方といえます。
魂が喜ぶことをしていきましょう。
店主 松岡れいか